
思い出のLPレコード — Help!《The Beatles》 — Kazuhiro Miura
三浦和弘さんは、今もドラムを叩いている。
仕事は自動車関係で、国内はもちろん海外も飛び回る。それでも複数のバンドを掛け持ちしながら、現役でステージに立ち続けている。その根っこにあるのが、中学生の頃にラジオで出会ったビートルズだ。
「ビートルズは私の音楽の原点です。」
一言で言い切れる人は、そうそういない。その言葉を骨で届けたいと思って、このコラムを書いた。
ラジオから流れてきたビートルズ
ビートルズが初めて日本に来たのは、1966年の夏だった。6月29日から7月3日にかけて、東京・日本武道館で5公演。若者たちが熱狂し、NHKホールが歓声で揺れ、日本の音楽シーンが変わった。
そのビートルズ来日から10年が経った頃、ラジオがまたビートルズを大量に流し始めた。
「恐らく来日10周年記念でラジオでビートルズがたくさん流れていた。ほぼ全てのアルバムをラジオで流していた。」
1976年頃のことだ。テレビとラジオが音楽の窓口だった時代。CDはまだなく、レコードはお小遣いで簡単に買えるものでもなかった。ラジオから流れてくるビートルズは、貴重な「生放送の音楽体験」だった。
カセットテープに録音して、毎日聴いた
「レコードを買えないのでありがたかった。カセットテープに録音して毎日聴いてました。」
ラジオの前にカセットデッキを置いて、アンテナを調整して、DJのしゃべりが入らないタイミングを狙って録音ボタンを押す。そういう時代があった。雑音混じりでも、ラジオから録ったビートルズは宝物だった。
カセットテープには、1本に何曲も入れた。A面とB面を使い切るまで録音して、擦り切れるほど繰り返した。毎日聴く、というのは比喩ではない。本当に毎日、同じテープを巻き戻しながら聴き続けた。そのうちに、曲の順番も、間奏の長さも、身体が覚えていく。
音楽との出会い方が、今とは根本的に違った。
初めて買ったLPレコード
「ヘルプは初めて買ったLPレコード。お小遣いを貯めて買った。日本盤は高いので輸入盤を購入。」
ビートルズのLPを自分のお金で買う。それは中学生にとって、相当な決断だった。
当時の日本盤LPは2,300円前後、輸入盤は少し安かった。それでも中学生のお小遣いを何ヶ月か貯めなければ手が届かない金額だ。国内盤ではなく輸入盤を選んだのは、少しでも手が届く価格にするためだ。ジャケットの文字も英語のままで、歌詞カードも英語。それでも構わなかった。
なぜ数あるビートルズのアルバムの中から、ヘルプを選んだのか。
「ビートルズのラジオ番組のオープニングテーマ曲にヘルプとイエスタデイが使われていた。その2曲が入っていた事が買った理由。」
毎日聴いていたラジオ番組のオープニングで、必ず流れていた2曲。Help! と Yesterday。その両方が収録されているアルバムを調べたら、1965年発売の5枚目のスタジオアルバムにたどり着いた。お小遣いを貯め始めた。
ジョン・レノンは後年、この「Help!」という曲について「本当の気持ちを正直に書いた曲だった」と語っている。当時のジョンは精神的に追い詰められていて、あの「ヘルプ」という叫びは文字通りの助けを求める声だったと。でもそんな背景を知らなくても、10代の三浦さんの耳にはその音が届いていた。ラジオのオープニングで、毎日。
家具調のステレオセットが鳴らした音
「当時今には家具調のステレオセットがあった。」
家具調ステレオ。1970年代に多くの家庭に置かれていた、木製キャビネットに収まったオールインワンの音響家具だ。レコードプレーヤー、チューナー、アンプ、スピーカーが一体になっていて、居間の端に堂々と鎮座していた。
スイッチを入れると、針がレコードに落ちる。ジャケットをゆっくり引き抜いて、内袋から盤を慎重に取り出して、回転するターンテーブルの上に置く。この一連の動作が、音楽を聴くことの始まりだった。
「1枚のレコードも何度も繰り返して聴いた。CDとは違ってレコードは一曲一曲をじっくり聴いていた。」
レコードには、CDにはない重力がある。手に取ったとき、ジャケットを開いたとき、針を落とした瞬間 — それだけで、もう音楽が始まっている気がした。1枚1,500円以上のものを買っているのだから、すべての音を聴き逃したくない。そういう気持ちで対峙する音楽は、ただの「ながら聴き」にはならない。
家具調ステレオが鳴らしたヘルプは、カセットで聴いていたものとは違った。低音の厚さ、ジョンとポールのハーモニーの輪郭、リンゴのドラムのアタック感。あのLPが、三浦さんにとっての「本物の音」との最初の出会いだったかもしれない。
ビートルズは、私の音楽の原点
「これまでにたくさんの音楽を聴いてきましたがビートルズは私の音楽の原点です。」
原点、という言葉を使う人は多い。しかし本当の意味で「原点」と言えるものを持っている人は、そう多くない。三浦さんにとってのそれは、ラジオのオープニングで流れていたHelpとYesterdayであり、お小遣いを貯めて買った輸入盤のLPレコードであり、家具調ステレオが鳴らしたあの音だ。
その原点は今も現役だ。三浦さんはYES Tribute band “Yagi”を中心に、複数のバンドでドラムを叩き続けている。中学生の頃にビートルズのラジオを録音していた少年が、仕事で世界を飛び回りながらも、ステージでドラムスティックを振り続けている。
音楽の原点が、現在の音楽活動を支えている。それを「原点」と呼ばずに、なんと呼ぶのだろう。
編集後記
三浦さんは、私(ナミオ)が愛媛大学で過ごした音楽サークル The Jokers の後輩だ。
今もいくつものバンドを抱えて現役で演っている。先日もスタジオでブルースセッションを一緒に楽しんだ。ドラマーとしての三浦さんは、安定感と存在感がある。叩いている本人が一番楽しんでいるのが伝わってくる、そういうドラムだ。
とても優しい人で、私のいろんな誘いにもいつも快く応じてくれる。今回も「書いてもらえる?」と声をかけたら、こうして気持ちを届けてくれた。
ヘルプ。お小遣いを貯めて買った輸入盤。家具調のステレオ。カセットに録音して毎日聴いた音楽。 — あの頃の記憶が、今も三浦さんの音楽の土台にある。それを聞かせてくれて、ありがとう。
— Namio
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